フィリピンへの日本人の移民120周年及びPNLSC20周年記念

 11月25日、ダバオ市において移民120周年及びフィリピン日系人リーガルサポートセンター20周年記念式典が開催された。フィリピンに出稼ぎにきた日本人がベンゲット州のケノン道路の難工事に従事。その後、ダバオに移住したのが1903年。ジャングルを開拓し、現地の住民との通婚により農地を確保し、その後アバカの栽培で成功し、最大で2万人(それ以上とも言われる)の日本人が住む東南アジア最大の日本人街となった。

式典には、花田公使・総領事、石川ダバオ総領事、坂本フィリピンJICA所長、鈴木国際交流基金フィリピン所長、フィリピン日本企業協議会徳光代表、ミンダナオ日本人商工会議所中尾会頭、PLNSC河合代表理事、PNLSC猪俣代表理事、PNLSC青木理事、大野俊清泉女子大学教授、

イネス・マリャリフィリピン日系人会連合会会長、アントニーナ・エスコビリヤダバオ日系人会会長、ビンセント・ガルシア下院議員、___・ホソル日系人会国際学校校長、フィリピン全国に13ある各地の日系人会の代表らが集まった。



イネス・マリャリ フィリピン日系人会連合会挨拶
式典は、永続する友情、戦前に築かれた相互信頼関係、日比の多様な文化の共有という歴史に光を当てるものです。
1903 年に来日した私たちの日本人の先祖は、豊かな歴史を作り、日本とフィリピンの人々の間に非常に強い親善の土台を育みました。先祖は日系人社会と日本人社会が現在行っていることを大変誇りに思ってくれると考えます。

120 年前からの先祖が血と汗を流し苦労して築いてきた友情と信頼のお陰で、私たちは今、彼らの遺産を継続することを目指し、彼らを偲び敬意を表したい。

私はPNLSC の皆さんにお祝いを申し上げたいと思います。創業20周年記念のこの祝賀会において、私たちの寛大なスポンサーの一人である河合弘之氏、さらにフィリピンの日系人を代表して、私たちの古い戸籍謄本を探したり、裁判所に300件の承認を得た就籍の請願書を提出したりするための支援と貴重な努力に対し、PNLSCの皆様に心から感謝したいと思います。

 貧困とフィリピン人からの反日感情に苦しんでいた私たち日系人の地位向上につながり、私たちが日本人としてのアイデンティティを回復できるよう支援していただき、誠にありがとうございます。

さらに、第 21 回 日比祭りのために協力して頂いた団体(在ダバオ日本国総領事館、日本フィリピン企業協議会、国際交流基金、ダトゥ内田ディベロップメント基金等)に感謝いたします。同様に、この共同記念式典の準備組織委員会のメンバー全員に感謝の意を表します。また、出演者の皆様、講演者の皆様、そして今夜ご出席の皆様に心より感謝申し上げます。

好むと好まざるにかかわらず、ここにいる私たち全員が、日本とフィリピンの間に新たな歴史を築く一員となりました。

私たちの後継者となる人たちに、私たちが愛する両国間の平和、友情、調和のとれた関係と協力の窓口であり擁護者であることを思い出してもらいましょう。これからも日本とフィリピンを繋ぐ力強い生きた架け橋として活躍していきましょう。

特にこの急速に変化する時代において、日本人とフィリピン人の間の友情の絆をさらに強固にするために力を合わせていきましょう。

越川大使挨拶(代読 花田公使)
日系人及びPMLSCの皆様へのお祝いと、日比友好に携わるすべての方々を讃えたい。
ダバオへの移民120周年であり、戦前のベンゲットのケノン道路の工事でも日本人のハードワークによって完成した。ダバオの日本人は約24,000人で主にアバカ産業に従事した。
第二次大戦では2国の間で厳しい選択を迫られた。厳しい状況でも耐え、新しい関係を構築された。
1970年代、80年代からバギオやダバオから日系人社会は組織され、全国に展開していった。昨年設立されたパラワン日系人会は、フィリピンの日系人会の継続的な活動の証拠である。日系人社会の皆様には改めて敬意を表したい。

一方で2世の方々の高齢化は喫緊の課題である。
2003年に設立されたPNLSCはフィリピンに取り残された日系人の国籍の回復に努めてきた。フィリピン各地だけでなく日本の各地も訪問してきた。深い敬意と感謝を1人1人のPNLSCの皆様に申し上げたい。

フィリピン大使館としては、フィリピン日系人会連合会、各地の日系人会とPNLSCともに緊密に残された日系人の国籍回復と日系人社会の課題に対して対処する。



サラ副大統領挨拶
フィリピン日系人会の皆様へ移民120周年のお祝いを申し上げます。
PNJKは「日比友好の最前線」1世紀以上の文化的な統合、友好、協力関係を祝したい。
日本人は日露戦争以前にフィリピンに経済的な機会とより良い生活をを求めてやってきました。豊かな文化も持ち込んでフィリピン人と融合していきました。
これは多様化した社会における2か国の長く続く友好、文化交流、相互理解の証拠である。
あなた方の忍耐力、勤勉さを理解しつつ連帯し、両国のさらなる経済的な統合に期待している。

石川総領事挨拶
日比友好の橋をかけた先祖の勇敢なフロンティア精神に思いを馳せたい。1903年4月から移民し、勤勉で、重労働に耐え、尊敬される住民となり1936年にダバオは市となった。第2次大戦で、子孫、所謂日系人は取り残され、長年塗炭の生活を味わった。耐え抜き、現在の友好を築き上げた。
特にフィリピン日系人会の努力を称賛したい。43年前に立ち上がり、現在では7000人を超えるメンバーを含む組織となった。
PNLSCは、日系人を探し続け、就籍事業を継続されてきた。
在ダバオ総領事館としても、PNLSCとPNJKの日系人身元捜しに協力している。
ザンボアンガ、キブラワン、ホセアバドサントス、キダパワン、サンイシドロなど各地へインタビューへ行った。
日本人の子孫が認定されることを望んでいる。
120年の歴史は挑戦と勝利であったと思います。日比友好の恩恵を受けていますが、日系人にはより明るい未来が待っていると思います。
今夜の式典により感化され、一緒に2国の進歩に貢献していきます。
有難うございました。

セバスチャン・バステ市長(代読)
鈴木勉所長挨拶
坂本威午挨拶
河合弁護士挨拶
センテニアルのお祝いにミンダナオに来た時、多くの日本人の子孫で日本人としての公式な認定を待っている人に会った。





__弁護士・吉祥寺ライオンズクラブ挨拶
徳光代表挨拶
エスコビリヤ挨拶
メッセージで、
サラドゥテルテ副大統領
駐日大使
笹川
日系人会会長
網代JPVA会長
式の最中には、日本舞踊やミンダナオ国際大学・フィリピン日系人国際学校関係者によるダンスや楽器の演奏が行われた。
ビデオ上映:日比の歴史を振り返る。戦争の描写が短く、参加者への配慮が感じられた。
ビデオ上映:PNLSC
特に河合弁護士からズニエガ弁護士へのお礼。イネスさんが飛び入り通訳。
最後に故郷を参加者で斉唱してしめた。




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