なぜミンダナオ島でコーヒーに取り組んでいるのか

ブログを始めてから数年になりますが、ここで初心に戻って「なぜミンダナオ島でコーヒーに取り組んでいるのか」また今後のビジョンについても整理してみたいと思います。


途上国の貧困
1971年愛知県稲沢市祖父江町出身。エチオピアの飢餓を小学校の時に見て可哀想で、なんとかしたいと思ったことが途上国の開発を志したきっかけです。食料を増やせば良いと農学部を志望。大学で講義を受けていて、作物学の授業で河野先生が「地球上に食糧は100憶人以上は養える分がある」と説明。

ではなぜこんなに飢餓・貧困があるのか、と考えを深めていき、作物より貧困にアプローチできるコミュニティ開発へ進路変更したわけです。日本にそのようなコースはなく、当時その分野で進んでいたフィリピン大学へ留学。文科系は理系と考え方が違い戸惑いました。生活、言語、宗教もコースも違い最初の慣れるだけで大変でした。
フィリピンとの縁
もともと途上国・熱帯に惹かれていました。留学する2年前にフィリピンへ初めての海外旅行。NGOのスタディーツアーでミンダナオ島のバナナ農園の視察。「労働者は低賃金で搾取されているのは本当か、住民の上を飛行機で農薬散布し健康被害にあっているのは本当か」という問題意識がありました
当時は日本経済は好調で私は家が貧しかったこともあり途上国の貧しい人のために仕事をしようと決めていました。叔父が名古屋大学のの人文地理の教員で叔母が地域で良い活動している魅力的な人だったことにも憧れがあり、幼心に刷り込まれていたと思います。(今は、日本の優れた技術を持つ企業が海外に進出してもらいたいと思っております。そのために調査を請け負ったりしています。)
フィリピンにおけるコミュニティ開発
コミュニティ開発(参加型アプローチ)では、住民が自らの問題を意識し、プロジェクトを計画、実施、評価する。その過程を通じて問題解決能力を高めることが目的です。また他の組織と連携しネットワークを形成していきます。近代的な開発から、その恩恵を受けることがなかった地方の大多数の住民にはこのアプローチが最善と考えられ、NGOやフィリピン政府は実際に参加型アプローチを採用しています。特に、政府では灌漑用水の管理と森林の管理において、住民と政府が連携する政策を実施してきました。当時は日本のODAにも組み込まれ他国でも展開していくものと信じていた次第です。
フィリピンにおいて進んでいた理由の1つには、アジアで唯一のキリスト教国であり、南米から起こった解放論がフィリピンに伝わったこと、またマルコス独裁政権が長く続き、縁故主義や汚職を廃した民主的な社会が切望されていたことが挙げられます。
解放論とは、聖書を読み聞かせ来世の幸福を説いても現実社会は変わらないので、生活上の問題に対して意識化、組織化、資源分配をめぐる政治的な行動を通じ革新する宗教者や教育学者の取り組みが蓄積され後から「解放の神学」と名付けられたアプローチです。 

80年代にフィリピン大学を卒業された大濱裕氏(日本福祉大学)に面識を得て、現在に至るまで指導して頂いております。現地では、フィリピン最大のPRRMのバタアン州の開発活動の事例がすばらしく、漁民リーダーやオーガナイザー(現PRRM顧問 Crispin Tria氏)を頼って住み込みさせてもらいました。現在でも繋がりがあります。また在学中から日本の開発コンサルタント会社で現地採用として勤務し、開発実務を経験していました。

 博士課程卒業後、しばらくして1年間だけミンダナオへ。日系人コミュニティーを支援し、ミンダナオ国際大学を作ったNGOで現在のパートナーになる三宅、長谷川に出会います。1年で退職後、民間の開発コンサルタント会社に戻りJICAの案件に従事。パキスタン、アフガン、南スーダン、ラオス、バングラデシュなどで業務に従事。(なお、最後に従事したバングラデシュとラオスではJR東のSUICAのシステムを交通機関に普及する内容でした。)

2.コーヒーにのめりこんだ理由

2014年6月、パキスタンに滞在中にフィリピンのコーヒーの文献を目にしました。たまたま金曜日(休日)で翌日にかけて読み込みました。フィリピンがコーヒー生産国でありながら、輸入超過になっている現実に愕然としました。

これがきっかけになりコーヒーにのめり込んで行きました。

ではなぜ、ミンダナオ島と聞かれるのですが、以下の理由が重なっています。


2016年 南ダバオ州Bansalan町 Mt. Apo


1)知識欲:コミュニティ開発において、住民組織と市場の関係は学ぶ機会がなく知識が欠けていた。


2)貧困:2014年6月フィリピンがコーヒー生産国でありながら輸入国、特にインスタントコーヒー原料の輸入は世界第1位と知って愕然とした。

*生産量28,500トン(2014年)(米農務省)

*輸入量225,300トン(2014年)(米農務省)

*インスタントコーヒー原料の輸入量214,200トン(2014年)(米農務省)

*輸出量:660トン (2017年)(国際コーヒー機関)


3)市場の可能性:スペシャルティ・コーヒーというニッチなマーケットが発展中。競争相手も少ない。


4)自然環境:コーヒー樹ベースのアグロフォレストリーによる土壌保全の効果。


5)健康:ブラックコーヒーに様々な健康効果が認められる。一方、フィリピン人はコカ・コーラなどのソフトドリンクが大好きで、また米や芋を多く食べ、病気になり、海外の薬を買うという構造に陥っている。コーヒーを通じた健康への啓発をしたい。


6)タイミング:コーヒー産業に政府が力を入れ始める時期


7)地理的条件: ①ミ島 は肥沃で台風が来ない。②最高峰アポ山。③BARMMエリアに和平・発展の可能性。④日本に近く輸送費も安い。⑤比国内のコーヒーの8割をミ島で生産。


8)人脈:フィリピン大学やダバオNGO時代の人脈の活用。


9)出身と専門:名大農学部。ほとんど忘れているが、復習をすれば農学のキャッチアップが出来ると考えました。


10)職業:土木系のコンサルでは出番が少なく身の振り方をを考えていました。最初はNPOを設立するつもりでダバオに縁のある方々と動いておりました。

11)その他、留学中にソムリエという漫画を読んでマニアックな世界に惹かれていた。(当時は、情報がなく同じ漫画を何度も何度も繰り返し読んだものです。)在日フィリピン人も多く、フィリピンは日本にとっては隣国の友邦。コーヒー生豆は運びやすく、乾物なので長期の保存も効く。1日何杯も飲め、品質の確認もしやすい、など。

 2014年6月文献を読み、コーヒーの沼にはまるまでには、あまり長い時間を要しませんでした。起業については、上の要件を客観的に考慮し「やるしか無い、やってみたい」と思うに至り、その他の国や地域より一番ハードルが低いミンダナオ島でと決断しました。

2017年8月 ミンダナオ島コーヒー会議
行政-農家-民間企業-NGOsなど皆で盛り上げる機運があった。 

 

意義1:生産者と消費者の連携(バリューチェーンの開発)

コミュニティワーカーがコミュニティ内部で業務を完結させずマーケティングまで活動のスコープを広げたら画期的ではないか、反対に、商人はコミュニティーまで入り込んで、商機と村落の開発を両立させられる手筋があるのでは、と考えた次第です。それらの活動は、程度の差こそあれ、既に行われていることでしょうが、2者の立場の視点から整理して、「生産者にとって消費がコミュニティ開発のドライブとなり、一方、消費者にとっては、消費が生産国の発展につながるという連携の意識の醸成になること」を考えています。


2017年11月、フィリピン投資委員会ダバオ地方事務所スタッフと
Brgy Managaのキャプテンを表敬


意義2:地域づくり

以前(20年前)、近代開発(国家規模の開発)とコミュニティ開発は、対立していました。

現在、現場でも連携(行政―住民―NGO-民間企業)が進展しています。コーヒーに関する政策も2017年に策定されたばかりです。新しい産業であり、また生産者の大部分が小規模農家であり、全く色がついておりません。

 歴史社会学的には、新人民軍など反政府ゲリラの存立基盤を失わせ、経済活動を通し平和が構築されていくことになります。現在ゲリラは除隊し、職業訓練を受けています。スルー諸島では除隊したムスリムの元兵士がコーヒー農家になっていると聞いております。「以前は銃を持って眠ったが、今はコーヒー生豆と寝ている」と。

フィリピンの地域つくり国作りのお手伝いになり、非常に意義のあることと理解しています。(そもそもフィリピンは、人口の10%が海外出稼ぎにいっており、国内に雇用を吸収する産業が必要。)

 

もちろん意義は、上だけにとどまらず、貿易不均衡の改善、健康の増進、環境保全、産業の育成、女性の活躍などSDGsで言及されているゴールをいくつかカバーします。


しかし、現実は過酷です。

開発の意義はあり、コミュニティとバリューチェーンの開発が成功したからと言って、ビジネスが成功するわけではありません。


コーヒー価格は

2016年、135ペソ/KG (300円/KG)

2022年 550ペソ/KG(1375円/KG)

と急騰し、日本に輸出しても買い手がつかない価格になってしまいました。

日本に経費をかけて輸出すれば、3倍程度(3000円後半/KG)で販売できなければ採算が合いません。

農村開発としては農民の所得も上がり、野菜をやめて自発的にコーヒー栽培する農家も増え環境も良くなり、農協の販路も拡大しました。フィリピンを代表するコーヒー農協となり、成功と言って良い状況です。


しかし、会社としては危機的状況です。価格急騰は予想以上でした。品質を上げて輸出出来るクオリティにしたら、自分の首を締めるビジネスモデルになっていました。


方向転換の岐路に立っています。


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